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大使館

大使館の歴史

横浜領事館

1859年7月1日、日本幕府はロシア人のために神奈川港を開港した。現在、神奈川は首都の西側に隣接する県の名前となり、その県庁所在地は横浜になった。すぐにこの港をムラヴィヨフ東シベリア総督率いるロシア使節団が訪れた。
1871年、横浜の初代ロシア領事が任命された。それは、駐日ロシア臨時大使を兼務するビュッツォフ氏だった。しかしながら、ロシア領事館所有の建物と地所が指定されたのは、かなり後のことだった。1875年(日露の条約締結後)、ロシアは横浜の地所(この土地には毎年、借地代として111メキシコ・ドルを支払っていた)の使用許可をもらった。その後、この地所に領事館を建てる計画がもちあがった。1880年、イギリス人建築士スメードリ氏の設計により、いわゆる「植民地風」スタイルのロシア領事館が建てられた。
1902年には、領事館の建物の抜本的改築が必要になった。この改築の責任者は、在横浜領事に任命されたシヴェルス氏だった。改築後には、建物の二階部分がかなり広くなり、そこにはガラス張りのベランダがつくられた。この改築工事に積極的に参加したのは、有名なイギリス建築士コンドル氏だった。彼は、建築家シチュールポフ氏の図面をもとに東京にロシア正教キリスト復活大聖堂(ニコライ堂)の建築をした人物だ。
ロシア領事館の建物は、20世紀初頭の横浜では非常にエレガントな建物だった。明るい二階建ての邸宅で、ロシア紋章が掲げられた来訪者用の正門と二つの通用門があり、二階のバルコニー・テラスには装飾がほどこされていた。
1923年の関東大地震により領事館は全壊した。

神戸領事館

1858年の日露修好通商条約により、「すでに開港された港のほかに、日本幕府は1863年1月1日より兵庫港を開港する」ことになった。兵庫市(港町・神戸市の旧称)は、今では兵庫県の県庁所在地になっている。神戸のロシア領事館の業務は、1891年、ロシアのニコライ皇太子が日本を訪問する直前から始まった。
20世紀初頭には、副領事ヴァシーリエフ氏は神戸領事館の責任者になった。1925年からは、ソビエト領事コレスニコフ氏が神戸でその任についた。神戸領事館には、ビザ取得のために長い行列ができた。それは当時ヨーロッパに行くには、海路で50日間かかったが、ウラジオストクまで船で行き、そこからシベリア鉄道に乗れば、わずか15日間で行けたからだ。海辺に建てられた領事館からは海を一望することができた。

敦賀領事館

19世紀から20世紀初頭にかけて、日本からロシアへの「入り口」になったのは敦賀だった。1858年の条約には「日本政府は1860年1月1日から日本島の西に位置する便利な港をもう一つ開港する。開港する港が決まり次第、ロシア政府へ通知する」と定められていた。開港される港は新潟と予定されていた。まもなく、外国船としては初めて、ロシア船『ジギット号』が港の状況を調査するために新潟にやってきたが、ロシア水兵はその入り江が気に入らなかった。入り江は底が浅く、そのうえ、強風と大波のため、越冬期に港が停泊するには非常に不便だった。ロシア船が寄港できる、そしてもちろん領事館が建設できる別の新しい港をさがすことになった。そして、両国は当時小さな漁村だった敦賀港を選んだ。1902年には敦賀とウラジオストクの間に公式の連絡船が就航し始めた。その後勃発した日露戦争は、この連絡船の発展を阻んだ。終戦後関係が復活すると、ロシアと日本の領事館開設にかんする議定書(1907年7月15日)により両国関係が復活してからやっと、日本政府は、敦賀と小樽にロシア領事館を開設することを許可した。領事館開設時(1911年)から1921年まで、当初は船舶会社「ドブロフロート」の代表として日本に来ていたフョードロフ氏が領事の任についた。その後、正教の女子修道院長をしていた日本人女性と結婚し、余生を日本で過ごした。1925年からはキセリョフ氏が敦賀のソビエト領事になった。戦時中はほとんど機能していなかったが、領事館は1944年まで存在した。

小樽領事館

すでに述べたように、1907年にロシアは、北海道の小樽にもう一箇所領事館を開設することを許された。しかし、小樽に領事館が開設されたのは、かなり後になってからだった。1926年1月、ヴァシーリエフ氏にようやく領事の資格証明が発行された。小樽領事館の開設は、全壊した横浜領事館の代わりであることが事前に申し渡された。ロシア外交官たちは、小樽の会社から月80円(当時としては大金)で建物を借用した。領事館の最も主要な業務は、カムチャッカ沿岸の漁業利権のためにロシアへ行く日本人漁師たちへのビザの発行だった。領事館の建物は円い塔と急勾配の切妻屋根ともつ、日本家屋建築としては一風変わった建物だった。この建物は、何度か改築されながら、今日まで保存されている。

参考文献:
「ロシアと日本:信頼への歴史の道のり」
モスクワ:「ヤポーニヤ・セヴォードニャ」出版社。2008年。

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